「ださいたま」と呼ばれてしまったり、なんかあか抜けない関東圏の県というイメージがいつの間にかできてしまった埼玉県…
映画「飛んで埼玉」では徹底的にディスられながらも、県知事から「悪名は無名に勝る」となんとも前向きなコメントが出ていました。
でも、実は縁結びで有名な”川越氷川神社”があったり、フィンランドか?と思ってしまうような北欧童話の世界を表現した”トーベ・ヤンソンあけぼの公園”があったりと観光でもデートでも足を伸ばす価値のある県なんです。
さて、そんな埼玉ですが「ご当地グルメ」といわれ、すぐに思い浮かびますか?
埼玉の隠れご当地グルメ?!
それは、、、
なんとうなぎ!!!
「え、埼玉ってうなぎの生産してるの?」
「え、ウナギって名古屋のひつまぶしとか、静岡のうなぎパイっていうくらいだし中部地方なのでは?」
と思う方もいるのでは?
それでは、ひとつずつ、ウナギと埼玉の関係を紐解いていきましょう!
うなぎの生産量は?
埼玉県はうなぎの生産量はどうなっているのでしょうか?
日本養鰻漁業共同組合連合会によると平成30年の都道府県別ウナギの生産量は
鹿児島県 | 6381トン |
愛知県 | 3459トン |
宮崎県 | 2539トン |
静岡県 | 1457トン |
と上位はこの4県。
埼玉県に関しては「ー」のマークで示してあり、”生産していないわけではないが、微々たる量”ということでしょうか。
埼玉とうなぎの歴史?
歴史的に見てみるとどうでしょうか。
埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉(https://www.pref.saitama.lg.jp/chokotabi-saitama/)によると
沼地が多く、川魚が多く生息する水郷地帯であった浦和近郊では、江戸時代からうなぎ料理が親しまれていました。200年経った今も、お店ごとの伝統の味が引き継がれており、さいたま市浦和区には、うなぎ専門店が多く残っています。
江戸時代、浦和近郊は沼地が多く、川魚も多く生息しており、魚釣りを楽しむ行楽客も多くいました。
また、浦和周辺は江戸と京都を結ぶ中山道の宿場町としてたくさんの人が行きかう町でもありました。
そんな訪れる人々に対し、沼地で獲れたうなぎを出したところ、大変な評判を呼んだようです。
このうなぎ目当てにわざわざ訪れる人もいたとか…
大正時代になると、開発が進み、天然のうなぎは獲れなくなってしまいましたが、今でも江戸時代から続く伝統の味は引き継がれており、埼玉のS級グルメと呼ばれるようになったのです。
江戸時代初期には、河岸付近に川魚料理を売り物にした料亭が軒を連ね、物産とともに集まった人々の舌を楽しませ、特に川魚料理は「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」といわれるほどの名声があり、歴史上の著名人なども食していると言われています。
埼玉県HPにも記載ありました~!
また、浦和駅前の碑には、”うなぎ蒲焼き発祥の地”であるとの記載もあるようです!
現在の埼玉とうなぎの関係
生産量はほぼありませんが、歴史的伝統は江戸時代から続く長いものです。
その伝統を大切にしていくために、さまざまな取り組みをしています。
ご当地キャラクターで盛り上げる!
さいたま観光大使「浦和うなこちゃん」。
なんとデザインはやなせたかしさんです。
さいたま市浦和区に数か所、うなこちゃんの石像が設置されていますのでぜひ発見してください☺
まつりで盛り上げる!
さいたま市浦和うなぎまつりが毎年5月頃に行われています。
うなぎ調理の実演やうなぎ弁当の販売、うなぎのつかみどり(小学生までのみ)といった”うなぎまつり”らしいものから、
お土産品や商農産物販売なども行われています。
うなぎを育てて盛り上げる!
「浦和のうなぎを育てる会」という歴史を、ウナギを、守っていきたいと考えている団体があります。
1993年に浦和のうなぎ店において結成された団体です。
浦和のうなぎを広め、伝統を継承していくために、後継者の育成や地域活性、観光振興に取り組んでいます。
また、2014年にニホンウナギが絶滅危惧種に指定されてしまいました。
浦和のうなぎを育てる会ではうなぎの養殖化に向けての活動も行っています。
うなぎの蒲焼き発祥の地として、うなぎ会を盛り上げようとがんばっています。
おわりに
埼玉県のご当地グルメは?美味しいものは?と尋ねられ、言葉に詰まってしまった筆者です。
埼玉のみなさん、とてもとてもすみません…
しかし、うなぎが美味しい!歴史ある!ということを知れて”禍を転じて福と為す”でした!
埼玉に行くことがあれば、伝統の味を試してみたいと思います(*‘ω‘ *)