日本で、当時の天守が残っている城はたったの12城。
今回はそのうちのひとつ、松本城のご紹介です。
【松本城について】
松本城は、長野県松本市にあるお城です。
この松本城、城主はころころと変わります。まさに戦国時代の領地の取り合いを表すかのようです。
小笠原氏が築城したときは深志城という名でした。その後、武田氏によって落城。武田氏は馬場信春に守らせますが、武田氏滅亡により織田氏の手に渡ります。その後は徳川氏、豊臣氏と名だたる名将の支配下の城となっていきました。
松本城という名になったのは、徳川氏の支配下のとき。小田原氏が再び城主になったときに改名がおこなわれたといわれています。豊臣氏の支配下になり、入城したのが石川数正。数正により松本城は大規模改修や城下町の整備がなされました。
別名:烏(からす)城と呼ばれることもある松本城ですが、歴史的に見て烏城と呼ばれていたことはないそうです。松本城の漆黒の外観が烏に似ていることで想像され、その想像が世に広まったと考えられています。松本城の別名は松本城の前身であった「深志城(ふかしじょう)」であるというのが歴史的に見てもあっているようです。
【松本城の見どころ】
〇白と黒のコントラストの城壁
松本城は平城で三重の水堀に囲まれています。バックには北アルプスの山々、そして水面に姿を映す天守、絶景です。
一見するととてもおしゃれに見える白黒の壁ですが、これはデザインではなく機能性のためなのです。
上部は白漆喰、下部は黒漆塗りとなっています。
それぞれ、
白漆喰→水には弱く、火に強い
黒漆塗→水には強く、火に弱い
という性質をもっているため、屋根の下は白漆喰、雨に濡れやすいところは黒漆塗にしたといわれています。
ちなみにこの黒漆喰、毎年9~10月に塗り替え作業が行われています。こまめにメンテナンスをすることで、見かけもきれいな黒色を保てるだけでなく、コンディションが保たれることにも一役買っています。
〇平和の時代と戦乱の時代を象徴する天守
松本城の天守は5棟の建物よりなり、天守群として国宝に登録されています。
・大天守
・乾小天守
・渡櫓
・辰巳附櫓
・月見櫓
この5棟の建物ですが、建設された時期が違います。
城は戦いの舞台となることや主の勢力を誇るために役割を担ってきました。戦国の世では、戦略拠点という性格が強く、大天守・渡櫓・乾小天守はそういった時代に建てられたので戦いを想定された造りになっています。狭間が大量に配置され、石落も設置。壁も分厚い造りです。
その後、江戸時代という平和になったときに戦う備えのほとんどもたない辰巳附櫓・月見櫓が建築されました。
この月見櫓は、名前の通り月見をしたといわれています。北、東、南側が開口部ですが、柱と舞良戸という横に桟を打った薄い板戸だけの建物です。この舞良戸は取り外しができるので、月見の際は外して月見を楽しんだのでしょうね。
戦国時代と江戸時代、性格のまったく違う時代の建物が複合連結された松本城天守群。ここ、松本城だけといわれており歴史的な特徴のひとつです。
【おわりに】
いかがでしたか?
松本城は様々な城主の歴史を刻み、また、外観も色であったり天守であったりと見どころ満載です。
そんな松本城、ぜひお楽しみください。
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