秋の神社、七五三の子どもたちがたくさんいますね。
そんな子どもたちが手に持っている「千歳飴(ちとせあめ)」。
七五三=千歳飴、だったので当たり前に思っていましたが、ふと気になってしまいました。
「なんで七五三といえば、千歳飴なんだろう?」
調べてみました!
Contents
【千歳飴とは?】
農林水産省によると、千歳飴は行事食のひとつであるとされています。
メモ
〔行事食とは?〕
季節ごとの行事やお祝いの日に食べる特別な料理のことを指します。
行事食には家族の健康や幸せを願う意味がこめられています。
他には…
おせち料理(正月)、うなぎの蒲焼き(土用の丑の日)やかぼちゃ料理(冬至)なんかも行事食に含まれます。
【千歳飴について】
千歳飴といえば、紅白の棒状のものを思い浮かべる方が多いと思います。
千歳飴の直径は約15mm以内、長さは1m以内と決められており、長いのが特徴です。
(たまに袋をひきずって歩く子も見かけますね)
なぜ、こんなに長いのでしょう?
これは「千歳飴のように長く生きてほしい」という願いの込められたものなのです。
下に〈七五三の起源〉として紹介していますが、もともと七五三は「今まで無事に成長したことへの感謝とこれからの健康と長寿を願う意味をこめて」が行われるようになったものです。
その行事のときの食べ物がその思いを形にしているのが分かりますね。
紅白も縁起のよい色といわれていますし、千歳飴の名前の由来となったのはこの棒状の紅白の飴が“千年”と呼ばれており、長寿を連想させるからだといわれています。
しかも、千歳飴が入っている袋も縁起を担いでいます。
袋には、“松竹梅”や“鶴亀”など、縁起の良いものが書かれていることが一般的です。この絵柄には健康長寿を願う想いがこめられているのです。
【千歳飴の起源】
起源は諸説ありますが、どの説でも江戸時代がはじまりといわれているので、江戸時代以降に始まったのでしょう。
そもそも七五三が庶民にも広く知れ渡るようになったのが江戸時代からといわれているので、千歳飴が江戸時代からなのもうなずけます。
千歳飴のはじまりの説の有名なところでいうと、
・飴売りの七兵衛が紅白の棒状の飴を浅草寺の門前で売り始めた
・大阪からきた平野甚左衛門が浅草寺で売り始めた
・神田明神前の天野屋という飴屋で売り始めた
記録などは残っておらず、口承で伝わっている説です。
〈七五三の意味?起源?〉
起源は平安時代まで遡るといわれています。
当時は乳幼児の死亡率もとても高く、7歳までは“神の子”と呼ばれるほど、人間としてではなく現世に魂が定着していない者として考えられていたそうです。
時代が過ぎて行っても、やはり子どもの死亡率は高いままでした。
なので、今まで無事に成長したことへの感謝とこれからの健康と長寿を願う意味をこめて七五三が行われるようになりました。
年齢ごとに儀式が違い、儀式が定まってきたのは江戸時代。“七五三”という名称が使われるようになったのは明治時代といわれています。
3歳 男女ともに 「髪置きの儀」 3歳で髪の伸ばし始める
5歳 男の子 「袴儀」 男の子が正装である袴を着用し始める際に行われた
7歳 女の子 「帯解きの儀」 女の子が大人と同じ丸帯を使って本仕立ての着物を着始める際に行われた。
七五三が11月15日の理由は諸説ありますが、
・徳川三代将軍家光が、五代将軍綱吉が病弱であることを心配し、成長の無事を祈るために行った袴儀の儀が11月15日だったという説
・徳川五代将軍綱吉が、我が子の髪置きの儀を行おうとめでたい日を探すと11月15日だったという説
この2つが有名な説です。
【千歳飴の食べ方は?】
千歳飴は縁起物なので、折ったりせずに1本食べきるのがよいとされています。
しかし、1mってかなりの長さなので小さい子だと途中でいらなくなってしまったり、食べきれなくて残してしまったりすることもあると思います。
残したり処分したりするより、小さく切って丁寧に食べきった方がいいですよね。
(あと小さなお子さんに長いままで食べさせるのは危険が伴いますし…)
カットには、キッチンバサミで切ることや包丁のうしろで叩くという方法が簡単でいいですよ。
【おわりに】
いまではキャラクター物の袋に入っていたり、短い千歳飴も売っていたりと、形を変えている千歳飴。
しかし、子どもへの想いは変わらないままです。
少しずつ、現代の形に行事もアップデートされていっているんですね。
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