彦根城は現存12天守だけではなく、国宝5天守の中のひとつに数えられている日本を代表する城です。
メモ
〔現存12天守/国宝5天守とは??〕
彦根城は、滋賀県彦根市にあるお城です。
別名:金亀(こんき)城。この名の由来は、彦根城築城前に、彦根山にあった寺院に金の亀に乗った観音様がいらっしゃったためといわれています。
全国で見ると、金亀城の別名をもつ城は2城あり(愛媛県松山市の松山城、大分県臼杵市の臼杵(うすき)城)この2城は「きんき城」と呼びます。
Contents
【彦根城 築城の歴史】
彦根城の築城については、関ケ原の戦い以降の勢力争いの図が関係しています。
もともと彦根には佐和山城(石田三成と父の正継が城主を務めた)がありました。1600年の関ケ原の戦いのあと、彦根の佐和山城は井伊直政のものとなりました。
しかし、直政はそのまま佐和山城に住むのではなく、新たな築城を計画します。当初は琵琶湖の湖畔の磯山での築城を考えていたようですが、直政の死去(1602年)を受けて後を継いだ息子の直勝(直継)が家康に相談をし、彦根山への彦根城の築城を開始しました。
天守は大津城から移築され、天守は2年足らずで完成されたといわれています。
他にも、長浜城からは天秤櫓、佐和山城からは二の丸佐和口多門櫓と太鼓櫓門、小谷城から西の丸三重櫓、といくつもの城から移築されたといわれています。
この移築使用はこの時代、結構多くの城でなされていたといわれています。(その中でもこの彦根城がダントツで多いらしいですが)
なぜ、移築されたものが使用されるのかというと3つの理由がるといわれています。
・工期短縮 ・コスト削減
これは分かりやすいですね。一から作るよりも、既存のものを運んで来て組み立てた方が早くて安いのは想像にしやすいです。
・験担ぎ
これは移築された元の城が戦国時代という戦いの時代を乗り越えてきた城たちです。落城してしまった城も含め、歴戦の験を担いだともいわれています。
彦根城全体の工事は1622年に完成されたといわれています。
この間に、大坂夏の陣があり、井伊家からは弟・直孝が兄・直継の代わりに出陣。その功績によって家督を引き継ぎました。
【彦根城のみどころ】
彦根城だけ?!天秤櫓(てんびんやぐら)
築城の歴史でも紹介しましたが、彦根城には長浜城から移築されてきた天秤櫓があります。
この移築元の長浜城は豊臣秀吉が初めて城を構えたとされる城です。
表門から坂を上っていくと廊下橋があります。
この橋を真ん中に、左右対称に建てられているのが天秤櫓です。真ん中を中心に左右対称の形が、まるで天秤のようだということから天秤櫓と呼ばれるようになりました。
完全に左右対称ではなく、窓の数などに違いはあります。日本人は左右非対称に美しさを感じる文化らしいので、そのあたりに趣向を感じます。
日本の城郭の中で、この形式のものは彦根城だけといわれており、今では国指定の重要文化財です。
市民の安堵のシンボル 時報鐘(じほうしょう)
本丸下の太鼓丸から、江戸時代から絶えることなく1日5回の鐘の音が聞こえます。
朝から3時間おきに(6時、9時、12時、15時、18時)響く音は城下の人々にとって、領民安堵のシンボルとともに、時を知る役目として生活を営んでいたことがうかがえます。
築城当初は鐘の丸に設置されていましたが、より遠くまで音が届くように太鼓門近くの高台に移されたといわれています。
現在に残る鐘は幕末期の12代藩主 井伊直亮(なおあき)により造られたものといわれており、より美しい音色にしようと鋳造の際に惜しげもなく小判が投入されたといわれています。
「残したい日本の音風景百選」(環境省)に“彦根城の時報鐘と虫の音”として選定されています。
この虫の音は、夏にはヒグラシの蝉しぐれ、秋にはスズムシやマツムシといった音を楽しむことができます。
また、毎年大晦日には「彦根城で除夜の鐘をつく集い」が行われ、鐘をつくことができます。
【おわりに】
いかがでしたか?
彦根城は「月明(げつめい)彦根の古城」と言われ、琵琶湖八景に選ばれています。月明かりに浮かび上がる彦根城の美しさを物語っていますね。
彦根城にはゆるキャラの先駆者?!ひこにゃんが登場しパフォーマンスも行っています🐈
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