日本では昔から八百万の神様がいるといわれてきました。
800万柱の神様(“柱”は神様を数える単位)がいるというわけではなく、「とてもたくさんの」という意味。
日本にいるたくさんの神様たちは、さまざまな個性や能力をそれぞれがもっていて、わたしたちはその神様自身の特化した能力を頼りに(ご利益をもらいに)神社を訪れています。
学問の神様といえば!
菅原道真(スゴワラノミチザネ)について紹介していきます。
Contents
菅原道真って?
平安時代の人(845~903)
学者の家として栄えていた貴族、菅原家に生まれます。
幼名(子どものときの名前)は阿呼
とても賢い子どもで、5歳の時には庭に咲いている梅に対し「美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」と詠んだと言われています。
18歳で文章生
33歳で文章博士(学者としての最高位)
と学者としての才覚も現していきました。
誠実で政治感覚をもち、帝の信任も厚く、55歳のときに右大臣へと任命されました。
しかし、左大臣であった藤原時平に無実の罪をかけられ、太宰府(福岡県)へ左遷されてしまいます。
その際に詠んだ歌がさまざまな文献に載っている「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という歌です。
この歌を読み、自宅の長く慣れ親しんだ梅に別れをつげました。
左遷より2年の月日が経った延喜3年(903)2月25日大宰府にて無念の思いのまま死去されました。
天満宮と菅原道真
そんな道真がなぜ神として祀られるようになったのでしょうか。
それは無実の罪を着せられ、左遷され、無念のまま死を迎えた悲しい道真の思いからでした。
いちばんはじめに祀られたと言われているのが、山口県にある防府天満宮。
本州最後の地として寄った山口の地で、「願わくばここに住まいを構え、無実の知らせを待ちたい」と歌に詠んでいます。
死去された日にその地では、神光や瑞雲が現れ、人々は道真が帰ってきたと思い、祀られました。
また、道真がなくなった太宰府の地では、亡骸を牛車に乗せて引いていたところ、牛が伏せて動かなくなりました。
それを人々が「ここに葬ってほしい」という道真の気持ちであると思い、そこに葬いました。
それがいまの太宰府天満宮です。
しかし、道真の死後、京の都では雷、大火、疫病などの天変地異が続き、道真の左遷に関わった者達が次々と亡くなっていきました。
道真が怨霊となり災いを起こしていると考えた人々が、道真の霊を鎮めるために神として祀りました。
いまの北野天満宮です。
世の中が平和になるにつれ、怨霊としての道真ではなく、優れた学者であった道真にスポットが浴びるようになり、「学問の神様」といわれるようになったといわれています。
天満宮には牛の像や梅の木が植えられていることが多いですが、道真には梅と牛にまつわる伝承が数多くあったため、シンボルとなっています。
牛は御遣いとされ、横になった牛は鎮まる場所を表すといわれています。
ご利益は?
学問の神様
優秀な学者であった道真。
歌も多く残していることから、文学・和歌・習字の神様としても慕われています。
道真が学問の神としての信仰が広く広まったのは江戸時代といわれています。
当時の寺子屋には、天神様の尊像があり、また毎月天神様で行われる縁日のときには参拝することが恒例となっていました。
雷の神
怨霊として恐れられていた時、左遷に関わった人物が次々と亡くなっていきました。
そんな中起こったのが「清涼殿落雷事件」。
この事件道真により、”道真の怨霊が雷神となり雷を操った””道真の怨霊が配下の雷神を使い落雷事件を起こした”などの伝説が流布する契機にもなりました。
「天満」という名が道真の死後に与えられた神号の「天満大自在天神」から来たといわれており、”道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた”ことが由来といわれています。
日本には自然を信仰する文化が強くあり、落雷を起こした道真は信仰する対象として神格化されていきました。
農耕の神
落雷事件のとき、都は干害に脅かされていました。
日照りによる飢饉が続いたため、雷の神と同じように自然に神として発生したといわれています。
至誠の神
至誠とは”この上なく誠実なこと。まごころ。”
無実の罪で太宰府に左遷された後も、ひたすら国家の安泰と自身の潔白を祈り続けていました。
一貫した態度の道真は至誠の神としても崇められています。
祀られている主な場所
天満宮、天神といった道真が祀られている社は全国で1万2000社ともいわれています。
それだけ、人々の信仰があついということですね。
社には梅が植えられていることが多く、梅の名所となっている神社も多くありますよ。
防府天満宮
日本最初の天神様といわれています。
本州最後の地として寄った山口の地で、「願わくばここに住まいを構え、無実の知らせを待ちたい」と歌に詠んでいます。
死去された日にその地では、神光や瑞雲が現れ、人々は道真が帰ってきたと思い、祀られました。
住所 | 山口県防府市松崎町14-1 |
電話番号 | 0835-23-7700 |
参拝時間 | 開門時間:6時~20時 |
参拝料 | 無料 |
アクセス |
山陽本線 防府駅 徒歩15分 防府駅よりバスにて「防府天満宮」下車 |
太宰府天満宮
道真がなくなった太宰府の地。
亡骸を牛車に乗せて引いていたところ、牛が伏せて動かなくなりました。
それを人々が「ここに葬ってほしい」という道真の気持ちであると思い、そこに葬いました。
住所 | 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号 |
電話番号 | 092-922-8225 |
参拝時間 |
開門時間 閉門時間 |
参拝料 | 無料 |
アクセス | 西鉄太宰府駅より 徒歩5分 |
北野天満宮
道真の死後、京の都では雷、大火、疫病などの天変地異が続き、道真の左遷に関わった者達が次々と亡くなっていきました。
道真が怨霊となり災いを起こしていると考えた人々が、道真の霊を鎮めるために神として祀りました。
住所 | 京都市上京区馬喰町 |
電話番号 | 075-461-0005 |
参拝時間 |
4月〜9月:5時〜18時 |
参拝料 | 無料 |
アクセス | 京都市バス「北野天満宮前」下車すぐ |
【おわりに】
怨霊と恐れられた菅原道真。
しかし、今では全国の受験生たちにエールを送る神様となっていました!
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