松山城のご紹介です。
松山城は、愛媛県松山市にあるお城です。
別名、“勝山城”“金亀(きんき)城”とも呼ばれています。
勝山城→もともと、この山は勝山という山でした。築城着手をした加藤喜明が1603年に松山という地名に改めたため、松山城となりました。
金亀城→築城の際に山麓の内堀が深い淵になっていました。そこに“金色の亀”が棲んでいたといわれており、その伝承にちなんで金亀城と呼ばれるようになったそうです。
他にも、金亀城の別名をもつのが、大分県の臼杵(うすき)城、滋賀県の彦根城(彦根城は“こんきじょう”)です。
関ケ原の戦いのあと、功績により20万石となった加藤喜明(賤ヶ岳の七本槍の一人)が築き始めたお城です。
メモ
〔賤ヶ岳の七本槍とは??〕
賤ヶ岳の戦いで、豊臣秀吉軍で活躍した7人の武将のこと。
脇坂安治・片桐且元・平野長泰・福島正則・加藤清正・糟屋武則・加藤喜明
喜明は築城を始めはしましたが、その後は幾人もが城主として入城しています。
最終的には松平家が松山城に入場し、再建などを行っています。
標高132mの城山山頂に本丸、裾野に二の丸三の丸のある山全体を活用した平山城で、ロープウェイとリフトが設置されており観光客が松山市を代表する観光スポットのひとつとなっています。
【松山城の見どころ】
〇再建できた不思議な天守
黒船来航の翌年(1854年)に完成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。
1784年に落雷により焼失し、その後再建され今なお残る天守。
江戸時代に武家諸法度により新たな天守の築城や増改築が禁止されました。そのため、江戸時代を通じて建築技術は衰えていったといわれています。
しかし、幕末に完成したはずの松山城天守は複雑かつ厳重な連立式の構成となっており、土木技術も含め完全な桃山文化の様式の城郭建築となっています。
とても不思議なことに、武家諸法度による制約がとても厳しい時代にも関わらず松山城は再建できています。
取り締まりが厳しく、天災などで失った天守の断念をした城郭も。将軍家の居城である江戸城や大坂城も再建されることがなく、許しを得ても天守と名乗らず「御三階櫓」と名乗ることもあるようなご時世でした。
そんななか、再建された松山城の天守の高さは本壇から20m。本壇は本丸からは8.3mの高さにあり、また本丸自体が山の上にあることで標高は132m。つまり天守の標高は約161mです。この高さは「現存12天守」の平山城の中で最も高いとされています。
天気がよければ、西日本最高峰の石鎚山(愛媛県西条市)や瀬戸内海に浮かぶ島々なども見ることができ、市内屈指の夜景スポットでも知られています
〇21棟の建造物が重要文化財
天守、三ノ門南櫓、二ノ門南櫓、一ノ門南櫓、乾櫓、野原櫓、仕切門、三ノ門、二ノ門、一ノ門、紫竹門、隠門、隠門続櫓、戸無門、仕切門内塀、三ノ門東塀、筋鉄門東塀、二ノ門東塀、一ノ門東塀、紫竹門東塀、紫竹門西塀
とかなりの数の建造物が重要文化財となっています。
その中でも特にみどころを紹介していきます。
野原櫓
本丸西北の防備および本丸北側を防衛していた櫓です。
日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれています。
望楼型は、1階の梁を通じて2階を支える構造になっている櫓です。松山城の天守は再建されており、層塔型と呼ばれる天守台(土台)の精度が必要となる建築様式で作られています。
城郭建築の技法が進化していく過程を松山城では見ることができます。
隠門と隠門続櫓
筒井門の奥にあるのが隠門と隠門続櫓です。
筒井門はとても大きく、目を引きます。一方、隠門は分かりにくいように奥の石垣で隠された造りになっています。
敵の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から出てきて襲うという戦略ができるようになっているのです。
葵の御紋のついた瓦
松山城の天守の紋章は、葵の御紋です。(丸に三つ葉葵「三つ葉左葵巴」
これはこの松山城が現存12天守の中で唯一、親藩・松平家によって建築されています。そのことを物語るように、葵の御紋が瓦に入っているのです。
メモ
葵の御紋といえば、徳川家を想像しますが、もともとは京都にある賀茂神社の御神紋が葵の紋です。
どのような経緯で徳川家の家紋になったのかは定かではありませんが、一説によると松平家が神社の有力な氏子であったことから使用されたと伝わっています。
松平氏は徳川家の系列です。家康から(家康の一家だけが)徳川を名乗るようになったのです。
暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗も、藩主に就任する前は松平の姓でした。
全国的にも珍しい石垣
全国的に見て珍しい「登り石垣」があります。
(ほかに残っているとされているのは、兵庫県の洲本城と滋賀県の彦根城のみ)
名前の通り、山の斜面を“登る”ように石垣が作られています。
この石垣は、山麓から侵入しようとする敵を阻止するために、麓の二の丸と山頂の天守を山の斜面を登る2つの石垣で連結させたものです。
登りとつくので、人が登りやすいイメージをもってしまいますが、そうではなく、斜面に縦に石垣が登るようにつくられたものです。これにより、敵の斜面での横移動をしにくくさせます。
【おまけ】
二の丸史跡庭園が2013年に恋人の聖地として認定されました!
プロポーズにふさわしいロマンティックなスポットに認定されたということです。
「日本100名城」や「美しい日本の歴史的風土100選」、「日本さくら名所100選」「日本の歴史公園100選」にも選定されています。
【おわりに】
歴史的価値の高い上に、現在では恋人の聖地にも選ばれている松山城!
過去と現在の見事なシンクロだと思います。
ロープウェイもリフトもどちらも同じ値段で乗ることができるので、好きな方をお選びください!
歩いて登ることももちろん可能なので、歴史や自然を楽しみながら歩くのもおすすめです!
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