城郭

【丸岡城ってこんな城】歴史、見どころ、伝説…詳しくご紹介!

 

現存天守のひとつである丸岡城の歴史や伝説、みどころを紹介していきます!

 

 

丸岡城は、福井県坂井市にあるお城です。

別名:霞ヶ城とも呼ばれています。

 

 

1979年、築城400年を記念して日本式庭園式の霞ヶ城公園(丸岡城)が造られました。

 

城郭一帯には数百本の桜(ソメイヨシノ)が植えられ、毎年開花の時期には花の中に浮き立つ古城の眺めを見ることができます。

 

 

 

【丸岡城の歴史】

 

丸岡城は織田信長の家老で有名な柴田勝家の甥、柴田勝豊が1576年(天正四年)に築城したお城です。

 

その後、清須会議(1582年)により、勝豊は滋賀の長浜城へと移されました。代わって丸岡城の城主となったのは安井家清です。

 

しかし、翌年の1583年賤ヶ岳の戦いにより、勝家が秀吉に滅ばされると、丸岡城は柴田家の所領から丹羽長秀のものとなりました。

 

ここで終わらないのが戦国時代の真ん中を生きた丸岡城!!

 

その後、1600年の関ケ原の戦いで家康が勝利したことをきっかけに、越前国(福井県)は家康の次男である秀康のものに。丸岡城はその家臣である今村盛次が入城しました。

 

しかし!またまた城主が変わるのです。

 

1612年、越前騒動(領民同士の争いをきっかけに、重臣間の対立が表面化。藩内は二分され武力衝突もあった)のせいで今村は失脚。

 

そして本多成重が城主となったのです。

しかし、本多の時代も1695年4代目重益のときにお家騒動があったことで終わります。

 

有馬清純が入城し、以後、有馬氏の居城となり明治維新を迎えました

 

 

丸岡城は戦国時代の三武将、織田、豊臣、徳川とともに時代を過ごした城ともいえる、城主の変遷の多い城でした。

 

 

 

 

【現存12天守のひとつ】

 

日本に12城残る現存天守のひとつがこの丸岡城です。

 

メモ

〔現存12天守/国宝5天守とは??〕

 

 

その中でも、最古の天守といわれていました

古い時代の望楼型の特徴をもつことや文献資料の記述などから、柴田勝豊時代(安土桃山時代)の建造であるとされ、最古の天守であるという見方がされてきました。

 

しかし、2019年4月に発表された調査結果により、天守は寛永年間(1624~1645:江戸時代)である可能性が高くなってきています

 

 

じゃあ、どこか現存天守の最古?と思われると思いますが、それはまだまだ調査中ではっきりとしたことはいえないそうなのです…

 

 

【丸岡城のみどころ】

 

天守の階段が急すぎる?!

 

天守の1階から2階へと登る階段が、とてつもなく登りにくいです。

階段を登るために、手すりだけでなく、結び目のついたロープが階段にぶら下がってるほどです。(他のお城は手すりがあるだけ)

 

一段あたり

段差  27cm(高い…)

踏面  12.5cm(狭い…)

傾斜画 約65度(急すぎる…)

 

ここまで階段が登りにくいのは丸岡城の特徴といえ、階段の登りにくさ日本一といえるでしょう……

 

 

〔大蛇伝説が2つもある?!〕

 

丸岡城には大蛇にまつわる伝説が2つも残っています。

 

別名:霞ヶ城は大蛇に由来する?

 この土地には大蛇が棲んでいて、その大蛇がお城を守るために、戦の際に霞を吐いて城を包むといわれています。

継体天皇(26代天皇|聖徳子の曾々祖父にあたる)はこの越前で育ちました。そんな継体天皇の第二皇子 椀子皇子(まねこおうじ)が大蛇となり、霞を吐いてこの地を守っているといわれているのです。

 

この丸岡の土地はもともと、「まるこの岡」と呼ばれていました。これは先の椀子皇子の名前からなったといわれています。

 

丸岡城内には、大蛇が出てきたといわれる井戸がいまも残っています。

 

霞ヶ城と呼ばれるようになったのにはもうひとつ説があり、それが桜です。

小高い山の上には、昔からたくさんの桜が植えられており、春の満開の時期には桜色の霞に包まれたように見えることも由来とされています。

 


眠鯨さんによる写真ACからの写真

 

母の恨みが大雨を?

 

 大蛇伝説ともに、伝わる伝説が「人柱お静」の伝説です。

 

 丸岡城築城の際に、天守の石垣が何度積んでも崩れてしまうので、人柱を入れることになりました。人柱に選ばれたのは、二人の子を抱えて貧しい生活をしていた片目のお静でした。

 お静は一人の子を侍に取り立ててもらえることを約束に、天守閣の中柱に埋められ、天守は立派に完成しました。

 

しかし、勝豊は他所に移動してしまい、「子どもを侍に」いう約束は守られませんでした。

 

お静の霊は恨み、毎年4月の頃になると堀が水であふれるほどの大雨が降ったといいます。

 

人々はこの雨を「お静の涙雨」と呼んで、小さな墓を建ててお静を弔いました。

“お静慰霊碑”として、いまも丸岡城でお静の恨みをしずめています。

 

 

 

【おまけ】

 

〔日本一短い手紙?〕

 

丸岡城にある“一筆啓上石碑”。これは本多佐久衛門重次(徳川家康の家臣)が陣中から妻に充てて送った手紙が彫ってあります。

 

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」

 

お仙というのは、丸岡城主 本多成重(幼名:仙千代)です。

 

メモ

〔一筆啓上とは??〕

  男性が手紙の冒頭に用いる定型的な挨拶の言葉。

  簡単な手紙、短い文の手紙を差し上げます、という意味の言葉。

 

この手紙は用件をとても簡潔かつ明瞭に伝えており、手紙の見本とされています

 

この手紙をモチーフに、「日本一短い手紙 一筆啓上賞」が始まり、全国に知られるようになりました。

 

丸岡城近くには、日本一短い手紙の館があり、歴代の作品を飾っています。

 

 

【おわりに】

 

丸岡城の周辺にある霞ヶ城公園は「日本の歴史公園百選」に選ばれるほか、「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

 

歴史探索として城を楽しむだけでなく、整備されたきれいな公園を散歩するだけでも、リフレッシュになりそうですね。

 

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【丸岡城の情報】

 

霞ヶ城公園管理事務所

住所:福井県坂井市丸岡町霞町1-59

TEL:0776-66-0303

 

開城時間:8:30~17:00(最終入場16:30)

 入城料金:大人450円 小中学生150円

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おじゃま まか

旅行&キャンプ&雑学好きの2022秋生まれBoyぎーくんのおかあさん! 関西在住、ワーママです。

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