現存天守の残る12城のうちのひとつ、高知城のご紹介です。
高知城は、高知県高知市 にある城、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な城です。
別名:鷹城とも。
この鷹城の由来は屋根瓦の灰色と、漆喰壁の白色が鷹の羽の色に似ていることからそう呼ばれているそうです。
城の周りは高知公園として無料開放されおり、周りには県庁や市役所など、行政の建物がズラリ。
今も昔もこの城を中心に栄えていることがうかがえますね。
【高知城の歴史】
高知城の歴史を見ていくと、今の高知城と同じ場所(大高坂山)に南北朝時代には南朝の豪族、大高坂松王丸の築いた城(大高坂山城)があったとされています。
しかし、その城は室町時代になってすぐに北朝との対立により落城。
室町時代、戦国時代とこの土地が歴史舞台に出てくることはありませんでした。
再び、この土地が歴史舞台に出るようになったのは安土桃山時代に入ってから、そして、今の高知城が築城され始めたのは江戸時代になってからでした。
戦国末期に四国平定を達成した長宗我部元親。
安土桃山時代初期に、大高坂山へと移りましたが、この土地が河川にはさまれていることや洪水量の多さといった、水害などにより城下町の形成がうまくできませんでした。
そのため、長曾我部は土佐湾に面した浦戸城に移転したといわれています。
その後、関ケ原の戦いの功績により、山内一豊が土佐(今の高知県)を拝領します。
一豊は1601年(慶長6年)、大高坂山で築城を始めました。
この土地が河の内側にあるため、河内と名を変え、その後いまの“高知”となったという説もあります。
メモ
〔山内一豊ってどんな武将??〕
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人に仕えた武将です。
尾張(今の愛知県)出身で一時期は浪人をしていましたが、その後は信長に仕えます。
姉川の戦いでの功績から、秀吉の領地の一部(いまの滋賀県長浜市)を信長から与えられ、ここから山内一豊が戦国武将となっていきました。
本能寺の変で信長が倒れたあとは、秀吉に仕え、掛川城(静岡県掛川市)に入城。
このとき、関東には家康がおり、掛川の地は家康をおさえるための戦略的拠点でした。
一豊は大規模な改修を行い、城下町づくりや治水、城郭づくりなどを通して掛川の町を繁栄させていきます。
秀吉が亡くなったあとは、早い段階で家康への忠誠を見せています。
そして、関ケ原の戦いで功績をおさめ、土佐を任せられました。
2006年の大河ドラマ「功名が辻」では山内一豊と妻の千代が主人公として物語が構成されていました☺
1601年から始まった築城は、1603年には本丸と二の丸が完成し、1611年には三の丸が完成。
着工10年目で城郭の形が整いました。(1605年に一豊は死去)
しかし、1727年(享保12年)、火災により追手門以外の城郭のほとんどを失ってしまいました。
8代目土佐藩主(山内豊敷)は城郭の再建に着手をし、1749年(寛延2年)には少し小振りの天守が焼失前と同じ外観で再建されました。
明治になると廃城令により、天守等本丸周辺と追手門以外の建造物が取り払われてしまいました。
その後、自然災害や太平洋戦争など、何度も危機に襲われましたが、幸運にも当時のままを残すことができています。
【高知城のみどころ】
現存本丸のある唯一の城
本丸の建造物があの頃のまま、すべて現存しているのが高知城のすごいところです。
門などを含めると15棟が国の重要文化財として当時のままの姿を残しており、歴史を感じさせます。
他の現存天守でも当時のものを見ることはできますが、本丸すべてというのはここ高知城だけです。
そういったところも加味され、日本100名城に選定されています。
雨水から城を守る排水の工夫
高知県は全国的に見ても降水量の多い地域、そのため高知城には排水の工夫が見られます。
長宗我部氏はこの排水の工夫がうまくいかず、浦戸城に移転したといわれているくらい、難しかったようです。
山内氏は工夫をこらし、江戸時代から現代に続く城下町を造りあげることに成功しました。
その工夫として「石樋(いしどい)」が見られます。
この設備は高知城内で16か所確認されていますが、他の城ではなかなか見ることのできないものです。
排水が直接石垣に当たることで、石垣内部に排水が入って目詰まりや劣化をしてしまいます。
石垣から突出した造りになっていることで、排水が直接石垣にあたるのを防いでいます。
【おまけ】
高知城のある高知公園には、土佐ゆかりの偉人の銅像が見守っています。
板垣退助像
自由民権運動の父とされており、「板垣死すとも自由は死せず」の名言でも有名な板垣退助の銅像があります。
板垣は高知県高知市出身のこの地にゆかりのある人物ですので、ここに銅像が造られているのです。
初代藩主 山内一豊像
騎馬像としては、国内最大クラスの大きさを誇る銅像です。
【おわりに】
ここ、高知城は写真映えするお城としても有名で、追手門と天守を1枚の写真におさめることのできる珍しいお城です。
写真映えは今の流行りですし、すてきな写真を撮ることができるスポットとしても人気の城のひとつです。
高知城 天守閣と追手門 posted by (C)versa
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【高知城の情報】
高知城管理事務所
住所:高知県高知市丸ノ内一丁目2番1号
TEL:088-824-5701
開城時間:9:00~17:00(最終入場16:30)
入城料金:18歳以上420円 18歳未満無料
メモ
〔現存12天守/国宝5天守とは??〕